Simo Hayha
シモヘイヘをイメージして作った鞭です。
シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä['simɔ 'hæy̯hæ], 1905年12月17日 - 2002年4月1日)は、フィンランドの軍人。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソビエト赤軍から“白い死神”と呼ばれ恐れられた。スナイパーとして史上最多の確認戦果505名射殺の記録を残している。愛称は「シムナ」。フィンランドでは、シモ・ヘイヘではなくシモ・ハユハと呼ぶ
狙撃において、フィンランドが独立後、旧宗主国のロシア帝国が開発したモシン・ナガンM1891を土台に改良したモシン・ナガンM28を使用していた。身長約152cmと小柄であったが、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガンを与えられている。
モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、これを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れと装備の軽量化に加え、スコープのレンズによる光の反射で自らの位置を悟られるのを嫌ったことによる。シモの使用したモシン・ナガンのうちの1丁は現在もフィンランド国立軍事博物館に展示されている。
狙撃技は入隊前に営んでいたケワタガモ猟で培われたものと言われ、これは元猟師だった赤軍のヴァシリ・ザイツェフや、アボリジニーの猟師出身者が多い現代のオーストラリア陸軍SAS狙撃兵などの経歴と共通する。シモの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたとされる。狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に16発の射的に成功したという逸話が残され、実戦でも300m以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。
公式確認戦果である505人は世界最多記録として知られるが、このなかには狙撃銃以外の火器による殺害数は含まれていない。サブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では200人以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年のクリスマス直前の12月21日だけでも25人の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が138人に達していたという。
スカルの脳天はeyerusくんにカスタムしてもらいました。
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