stygimoloch
イメージは、モレク
モレク(Molech)は古代の中東で崇拝された神の名。男性神。元来はモロク(Moloch)という。ヘブライ語では מלך (mlk)。元来は「王」の意。また、「涙の国の君主」、「母親の涙と子供達の血に塗れた魔王」とも呼ばれており、人身供犠が行われたことで知られる。
パレスチナにもモレクの祭儀は伝わった。古代イスラエルでは、ヘブライ語で恥を意味するボシェト(bosheth) と同じ母音をあて、モレクと呼ぶのが一般的であった。『レビ記』では石打ちの対象となる大罪のうちに、「モレクに子供を捧げること」が挙げられている。しかしソロモン王は、モレクの崇拝を行ったことが『列王記』に述べられている。ここではモレクは、アンモニ人の神であるアンモンの子らと同義に置かれる。
古代のヨルダン東部に住んでいたアモン人達からは、豊作や利益を守る神として崇拝されており、彼らはブロンズで「玉座に座ったモレクの像」を造り出し、それを生贄の祭壇として使っており、像の内部には7つの生贄を入れる為の棚も設けられていた。そしてその棚には、供物として捧げられる小麦粉、雉鳩、牝羊、牝山羊、子牛、牡牛、そして人間の新生児が入れられ、生きたままの状態で焼き殺しており、新生児はいずれも、王権を継ぐ者の第一子であったとされる。また、生贄の儀式には、シンバルやトランペット、太鼓による凄まじい音が鳴り響き、これは子供の泣き声をかき消す為のものとされている。
モレクへの言及は新約聖書にも見られ、ユダヤ人にとって避けるべき異教の神とみなされたことがわかる。
中世以降、注釈者たちは、モレクをフェニキアの主神であるバアル・ハモンと同一視するようになった。これには古典古代の作家たちが伝えるバアル・ハモンの崇拝が人身供犠を特徴としていたことが大きい。プルタルコスらは、カルタゴではバアル・ハモンのために、人が焼きつくす捧げ物として犠牲にされたことを伝え、この神をクロノスあるいはサートゥルヌスと同一視した。
1921年にオットー・アイスフェルトは、モレクについての新説を発表した。これはカルタゴの発掘調査に基づいており、mlk が「王」の意味でも神の名でもないとする。アイスフェルトの説によれば、この単語は、少なくとも幾つかの場合には人身供犠を含む、ある特定の犠牲の形式を指す語であった。子供をつかんでいる祭司を描いたレリーフが発見された。また祭儀場らしい場所からは、子供の骨が大量に発見された。子供には新生児も含まれていたが、より年齢が上のものもあり、ほぼ6歳を上限とするものであった。アイスフェルトは、旧約聖書の中で語義が不明であった「トフェト」 (tophet)がこの祭儀場を指す語であったと唱えた。
同じような場所は、フェニキア人の植民地があったサルディニア、マルタ、シチリアでも発見された。
アイスフェルトの説は、発表されて以来、幾人かの疑念を除けば、ほぼ支持されてきた。しかし1970年にカルタゴの人身供犠についての見解を修正する説をサバティーノ・モスカティが唱えた。モスカティはカルタゴでの人身供犠が日常的なものではなく、極めて困難なときに限り捧げられたと考えた。この点についての論争は、現在のところ決着を見ておらず、さらなる考古学的証拠の発見が待たれている。
モレクの名前を使った恐竜
堅頭竜類パキケファロサウルス科に分類される恐竜に「スティギモロク(Stygimoloch)」という名前のものがある。
“Stygimoloch”の名は、ギリシア神話のステュクス(Styx:冥界に流れる川の名)とモレクの名を合わせて作られた造語で、「地獄に住む悪魔」の意味である。発掘された化石の頭部が、大きく盛り上がっている上に角が多数生えている、という異形の形態であったことから命名された。
幾夜も捧げろ
問へ 肉体に
黒か? 赤か?
潤う唇 叫びは呵責
胸元の快楽と苦痛
陰翳の奇譚を魅せてあげるから
甘美な傷痕を与えてあげる
黒か? 赤か?
燃え尽きよ 燃え尽きよ
匂いを舐めろ
悶える蛆こそ蠢いて
震える感応は密約の証
強く 大きく 泣き叫べ
振り下ろす 私に従え
黒か? 赤か?
焼け焦げた生け贄は
咀嚼の音色に屈服される
痒みが脚を組み替えさせて
何度も息絶え
渇望の呼吸は 虜囚の憂愁を思い出せ
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